鬼塚喜八郎
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鬼塚喜八郎は1918年鳥取県に生まれた。
旧制鳥取第一中学校を卒業、軍隊生活を経験する。
戦後の神戸の廃墟でヤミ商売に明け暮れる子供たちを見た鬼塚喜八郎は、スポーツで若者の精神を立ち直らせたいと考え、1949年31歳の時自宅でスポーツシューズ製造会社「鬼塚商会」を興する。
最初に開発した商品はバスケット・シューズで、すべりにくくするため靴底をタコの吸着盤のように工夫したものだった。「オニツカタイガー」ブランド名次第に普及し、バレーボール・シューズやマラソン・シューズなどを次々と開発していく。
1955年に東京に進出して東京鬼塚株式会社を設立、東日本の販売拠点を確立する。
56年、「オニツカタイガー」の製品がメルボルン・オリンピックに参加する日本選手団用トレーニング・シューズとして正式採用され、会社は大きな飛躍を遂げる。57年にオニツカ株式会社を設立、翌年には鬼塚と東京鬼塚の両社をこれに吸収合併し、生産と販売の一体化をはかった。64年には神戸証券取引所上場する。
1977年7月、スポーツ・ウェアのジィティオ、ニットウェアのジェレンクを加えて3社が対等合併し、総合スポーツ用品メーカーとしての形態を整えるとともに、社名をアシックスと改称した。80年代にはブラジルとオーストラリアに現地法人を設立して、海外進出を果たす。また、92年(平成4)のバルセロナ・オリンピックを機に日米欧の共通ブランド化をはかったが、その後は業績が伸び悩み、不採算部門の見直しによる再建に努めている。
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